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彼らの話を聞いてください
これらの証言は、地雷がどのように世界の様々な地域の若者たちに影響を与えているかをあら
わしています。これらの話をプレゼンテーションや議員へのロビー活動、展示会やその他のイベントの
時などに活用してください。
 Wazir Hammond、
9歳、6ヶ月毎の義足の修理が必要。 ロケット弾などから病院を守る砂袋にもたれて休んでいる。 Wazir病院. カブール. アフガニスタン, 1997.
Photo: Robert
Semeniuk |
Nooruddin、アフガニスタン
カブールという街に住んでいるnooruddinは地雷被害者です。彼は外で友達と遊ぶこともできま
せん。そして、かつて地雷の被害にあう前にやっていたように両親を助けるために働くこともでき
ないのです。
Nooruddinは以前、手押し車を使ってカブールの通りで野菜を売っていましたが、今は障害のため
に手押し車を押すことができません。「私達はとても貧しいので、家族を支えるために私は働かなければ
いけませんでした。しかし、今はもう車を押すことができません。」と彼は言いました。彼の右手
とひざより上の足は残っていますが、ひざより下は地雷の爆発により吹き飛ばされ、切断されました。
「そのとき、私は祖父の家の近くにいて、手押し車を押していました。とても恐ろしい爆発の
轟音で私は倒れました。何が起こったのだろうという驚きに私は包まれました。そして立ちあが
ろうとしたとき、それができなかったのです。私は足に痛みを感じ、足を見た時・・・」
Nooruddinはしばらく間をおき、静かな声で言いました。「私の右足は吹き飛んでいました。私は恐
ろしい傷を見ました。そしてその傷からは血が流れていました。私は地雷の直撃を受け、ひどい傷を
負いました。近くを歩いていた人がかけよってきました。そして、祖父もやってきました。私
はカブールの南に位置するICRC病院に運ばれ、治療のためにそこへ入院しました。
「私はもはや手押し車を押すことができないのです。」とNooruddinは悔いています。「私は学
校でクラス2の生徒でした。私は将来、医学の勉強をしたいと思っていました。しかし、今は自分
が学校に行きつづける機会や能力があるとは思えません。私は貧しいうえに障害を持っています。
学校は遠くて私はそこまで歩いていくこともできません。」
Fernando Moises, 9歳、Kuito, アンゴラ
9歳のFernando Moisesは、アンゴラのKuitoの近くで対人地雷をふんだ時、一人で薪を探して
いました。彼の左足は吹き飛び、彼は発見され救助されるまでの2時間血にまみれて倒れてい
ました。近所の人たちは7km先のKuitoにある病院まで彼を歩いて運びました。彼にとって幸
運だったことは内戦が数ヶ月前に終わっていたことでした。救援隊の人々が町に戻っていたので
す。そして、医薬品や食べ物をつんだ救助用の飛行機も飛んでいました。その救援団体である
Medicines Sans Frontiers に治療を受け、彼の命は救われました。私達は同じ7kmの丘のよ
うになっているKuitoとKunje間の道を片足をひきずりながら歩くMoisesを見つけました。その深
刻で悲しい目をした少年は、彼を車に乗せようとその朝そこを通過した車にも停車の合図をし
ませんでした。
Adis Smajic, 13歳、サラエボ, ボスニア
この4年間ではじめてAdisはDobrinjaの通りを離れることができました。そして、その近所
のほとんどはセルビアの過激派による爆撃で破壊されました。そしてサラエボが占領されている
間Adisは戦いの最前線を歩きまわりました。
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 Blanca Nubia
Chamorroは母親(Ana Maria)の看病を受けながら、地雷で負った傷を治療するために入院しています。レオン市、ニカラグア.
Blancaは家の外で1人で遊んでいる時に地面の上にあった丸いボールを見つけました。彼女はそれを
持ち上げねじを抜きました。そして内部に触れた瞬間地雷が爆発したのです。だれも、家の近くで突然地雷が
見つかるとは思っていませんでしたが、最近の雨のせいで地雷を地表に現れたのだと人々は
考えています。 爆発によりBlancaの左腕と右手が吹き飛ばされました。唯一残ったのが彼の幼い指だけです。
それが彼女のすべてです。でも、彼女はまだその指を使って色々なことができるのだとAna Maria言っています。
Photo: Giovanni Diffidenti
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彼は友達と共に紛争によって破壊された廃墟に入り、部分的に覆われた地
雷を見たそうです。「僕はこれが危険であることをしっていたけれども、誰もその上を歩いて欲しくなかったのです。」
ボスニアの首都にある病院で3日後、彼はそのように言いました。
地雷をとても慎重に持ち上げ、そしてそれを再び地面に置こうとしたとき爆発しました。爆発時の突風が原
因で彼は左目を失い、手は切断され、深い傷が彼の顔には醜く残っています。
Mao Sopheap, 16歳、Thngoeur Village, バッタムバン, カンボジア
Sopheapの父親はクメールルージュ(Khmer Rouge)に対抗してバッタムバン省で戦っている時
に地雷によって亡くなりました。母親はその数年後に亡くなりSopheapと妹が孤児として残されま
した。
Sopheapは村から3kmぐらいのところにある野菜園に働きに行っていました。彼女は村人達が毎日使っている細い路地
を歩いていていました。そこで彼女は最近埋められた
地雷の上に立ってしまったのです。彼女はバッタムバンの病院に治療のために運ばれ、左足は切断し
なければなりませんでした。インタビューの間、彼女は泣いていました。「私は自分自身と妹を支
えていくために何か専門技術を身につける勉強がしたかったのです。しかし、今となってもう無理
なことです。私は自分のような障害者と結婚したいと思う人は誰もいないと思います。社会も私を
助けてはくれないでしょう。あの地雷は私に一生続く涙の将来を与えたのです。」
Jose Miguel Larenas Mahn, チリ
高校を卒業した2日後、Joseは自動車事故にでくわし警察を助けようと止まった時、彼のトラ
ックが地雷をふんでしまいました。その状況を見た最初の医者が彼の父親でした。15回の手術の
後、医者は彼の腕の一部を救うことができました。Joseは現在地雷やUXOsに関する証拠や証言を
チリで集めています。
 P.
Granjon / Handicap International |
Altim and Adem, コソボ
コソボでの戦争が終結して以来、AdemとAltimは家の近くの牧場で牛の世話をしながら、生活していました。そして、地雷が爆発したのは通りなれたはずの小道でした。この1つ
の地雷は彼らの足を奪い、子供時代の悪夢をよみがえらせました。耳をつんざくような騒音、
暴力、そして足、足首、向うずね、脚はもはや存在しないのです・・・
長く辛い入院生活の後、彼らは車椅子と彼らのためにPristinaで作られた最初の義足を受け取
りました。そして、彼らはより丈夫で魅力的で自分自身にあった義足を受け取るために3ヶ月間
オーストリアにも行きました。
AdemとAltimは爆発やその瞬間になにが起こったかについてなかなか話そうとはしません。彼ら
が事故について思い出すのは避難するときに使った車、メルセデスベンツのことだけです。「新
しい足」によって彼らは3km歩いて学校に通うことができる、彼らはそのことだけに注目しています。
AdemとAltimは将来の夢について話してくれました。Altimは画家になり、Ademは音楽家になるのだ
そうです。
Rabha Hassa Assad Suyadan, 21歳、レバノン
Rabha Hassa Assad Suyadanが自宅の倉庫で地雷を踏んだ時、彼女は21歳でした。
「私は飼っているやぎのえさを取りに倉庫に入った時、電気ショックを受けたのだろうなと
思いました。爆発によって私の足は吹き飛び、私は庭へ飛ばさされました。足を見た時、自分
は左足を失ったのだなと気づきました。最初は痛くありませんでしたが、30分くらいして激
しい痛みを感じ、気を失いました。」
彼女は最も近い病院に運ばれるまでに4時間かかりました。途中で整備されていない道路と
雪のせいで2台の車が壊れたのです。Rabhaは現在母親と生活しています。
「時々、私は人生のすべてを失った、もはや何も残されていないと感じ、泣いてしまうことがあります。私
の人生は変わってしまいました。私はもはや働くこともできず、息子をもつこともできません。夫
はとても遠いBeirutに住んでいます。家族や近所の人々はとても親切です。今は義足を手に入れ
ようとしています。私は自分のような地雷被害者に伝えたいです。私達は自分自身の希望を持ち
つづけなければなりません。」
Joansinho, 9歳、Maputo, モザンビーク
JoansinhoはMaputoという街に母親と住んでいます。彼の両親が離婚し、彼はクリス
マス休暇で父親とその兄弟を訪ねるためにTimangueneに行っていました。
事故が起きた日、Joansinhoは父親に彼の兄弟を市場で捜して昼食に呼ぶように頼まれていま
した。残念なことに、彼は事故の直前にそこに到着しました。彼の兄弟を捜している間に地雷
が爆発し、2人の兄弟は即死しました。Joansinhoも重症を負い、Maputo病院に運ばれました。
彼が再び目をさまし気がついたときにはすでに彼は障害者になっていました・・・彼の右足は
なくなっていたのです。
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