ICBL大使
ジョディ・ウィリアムズは1950年、アメリカ合衆国バーモント州に生まれました。幼いとき、障
害を持つお兄さんが他の子供たちにからかわれるのを見て、彼女は不公平なことに反対する活動を始
めました。
バーリントンにあるバーモント大学を卒業後、バーモント州のブラトルバラにもどり、1976年、
インターナショナルトレーニング学科でスペイン語と英語教育の修士号をとりました。その後、メ
キシコで2年間英語を教えました。メキシコから、ワシントンDCに移り、そこで2つの仕事を続けながら、ジョンズ・ホプキンス大
学の大学院で学び、国際関係学の修士号を1984年にとりました。
ある日、路上で渡されたチラシに興味を持ち、ジョディはエルサルバドルでおこっている内戦
に対するアメリカの政策について学ぶ会議に参加しました。やがて、1984年から1986年までニカ
ラグア・ホンジュラス教育計画(Nicaragua-Honduras Education Project)のコーディネータをつ
とめました。1986年から1992年までは、エルサルバドルへの医療援助のディレクター代理をつとめ
ました。
幸運な巡り合わせで1991年の暮れに、ベトナム退役軍人アメリカ財団(VVAF)会長のボビー・ミ
ューラーがジョディに、新しく地雷禁止への活動をコーディネートするのに興味はないかと聞きま
した。1992年10月、地雷廃絶国際キャンペーン(the International Campaign to Ban Landmines)
が設立され、ジョディがコーディネータとなりました。キャンペーンの戦略として、ジョディは地
雷問題と全面禁止の必要性を広めていきました。国連、欧州議会、アフリカ統一
機構(OAU)などでも講演を行いました。
オフィスやスタッフもなしで働き、情報を流すのにはファックスやEメールに頼りながら、ジ
ョディはキャンペーンを支持してくれる60ヶ国1000以上のNGO団体を集めました。
5年と少しの間でジョディ・ウィリアムズとICBLは地雷に対する一般市民の関心を高め、対人地雷
全面禁止を実現するという彼らの目標に到達しました。彼らの努力はノルウェーのノーベル賞委員会
の認める所となり、ジョディ・ウィリアムズとICBLが1997年のノーベル平和賞を共同受賞しました。
カンボジア人活動家、トゥン・チャンナレット(Tun Channareth)
 Photo: John
Rodsted |
1982年、トゥン・チャンナレットはタイ・カンボジア国境付近で両足を失いました。爆発後、
体重を軽くし、友達が30km離れた医療所まで運べるように、自分の足を切り離しました。彼は今
カンボジアのシエムリアプに住み、結婚して7人の子供がいます。彼はカンボジアの農村に適した
車椅子を作る技術を持ち、不自由な身体にも関らず、村々を駆け回って、自分と同じように身体
不自由の人々に車椅子を贈ったり、壊れた車椅子の修理をしています。また、彼は、カンボジア
署名運動(Cambodia's petition drive)を始めた4人の退役兵士の1人で、50万以上の署名を集
めました。彼は1997年のノーベル平和賞のメダルをICBLを代表して受け取りました。また、ICBL
の大使として、世界をかけめぐり、条約に参加していない各国の政府に地雷禁止条約に参加する
ように求め、活動しています。
 Song
Kosal |
ソン・コサル(Song Kosal)はカンボジア、バッタンバン地方のベベルという町で足を失った
女の子です。彼女が12歳のとき、1995年オーストリアで行われた国連のCCW会議の演壇で講演をし
ました。その時以来地雷反対の活動を促進してきました。1998年オーストラリアを訪れた際、子ど
もたちを招待し、次の世代の子供たちのために地雷のない世界を作るため、Youth Against War
campaign(戦争に反対する若者によるキャンペーン)を立ち上げました。彼女がキャンペーンを
した国は、スペイン、日本、カナダ、モザンビーク、オーストラリア、カンボジアなどです。オ
タワ条約の署名式にも出席しました。彼女は今、奨学金を獲得し、高校1年生として学校に通って
います。
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