Youth Against War Treatyの歴史
1997年オタワ会議が行われている間、ソン・コサルとカナダ人の青年リンゼイ・ウィルコッ
クス(Lindsay Willcox)がPeople's Treaty(みんなの条約)を公にしました。政府が対人
地雷禁止条約に署名している間、人々は、盛り上がっている対人地雷禁止への市民運動にち
なんで名づけられた、People's Treaty(みんなの条約)に署名しました。みんなの条約に署
名した人々には、政府の条約批准、承諾、また地雷撤去と犠牲者援助などの状況を監視する
ように勧め、条約を批准していない国や、またなかなか批准をしようとしない国の政府に対
しての抗議運動に参加するように奨励しています。ICBLのホームページ上ではまだ
、People's Treaty(みんなの条約)の署名が続けられています。
1998年10月、ソン・コサルは戦争がもたらす子供たちへの影響を討論するためのオーストラリア
での会議へ参加し、People's Treatyの子ども版を作ることを思いつきました。"戦争に反対する
子供による条約"(Kids Against War Treaty)がそのオーストラリア会議で作られ、コサルは学校
などをまわったときに署名を集めました。
1999年オランダで行われたハーグ平和会議から、2000年戦争によって影響を受けた子供たちに
関する西アフリカ会議までに、学校や路上などコサルと42ヶ国から集まった若者でこの条約の
署名を集め、地雷のない世界を実現するために働きました。また、ICBLは何千という署名をホ
ームページ上で集めました。大きな努力が実を結び、2001年までに25万以上の署名が集められ
ました。
2001年3月、集められた署名は、対人地雷禁止条約に参加するように求めるため、アメリカ合
衆国政府に送られました。そして、コサルと世界中の若者は、地雷のない世界を実現すること
を誓い、署名を集めつづけています。
Youth Against War Treaty(戦争に反対する若者による条約)に署名することは、政府に対し
て、若者が平和で、地雷のない世界をのぞんでいるということを示すひとつの方法です。
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